TLOと私

TLOとの出会い

1990年の大学卒業後、日本経済新聞の記者を10年していました。後半の5年は、
中堅・ベンチャー企業の取材が主担当でした。ベンチャー企業と大学との関係を取材
してから産学連携に関心を持つようになりました。筑波大学の取材が最初でした。

背景には、当時好景気を謳歌していた米国の存在があります。「シリコンバレーでは、
大学がベンチャー企業の苗床になっている」という指摘もありました。

当初は「技術シーズ(事業化可能性のある研究成果)って何?」というくらいさっぱり
でしたが、大学の雰囲気が好きだったこともあり、よく取材するようになりました。
取材のヒントを与えてくれたキャップ(取材グループのリーダー)には感謝の気持ちを
言い尽くせません。

どうして社長になったのか

ベンチャー企業の取材は楽しかったのですが、第三者の立場でニュースを追うだけで
なく、当事者の立場で新しいビジネスを手掛けてみたいという思いがありました。
区切りのいい10年で日経を退社して、筑波大学のMBA課程に進みました。

在籍中の2001年3月に、TLOの社長公募をあるメールマガジンで見つけました。
東京農工大には一度、取材に来た経験があるだけで、それまで縁はありませんでしたが、
大胆で懐の深い農工大は私にチャンスをくれました。

その年の6月には、TLO設立の母体となった共同研究開発センター(当時、現在の
先端産学連携研究推進センター)の客員助教授という形で、農工大に入り、その後は
ジェットコースターのような刺激的な毎日を送っています。

さらに興味のある方は

イノベーション創出が叫ばれる中、TLOは非常に重要な役割を担う組織だと
考えますが、まだまだ認知度が低かったり、仕組みや実情が分かりにくいという
指摘を受けたりします。例えば、TLOと名乗っていなくても技術移転の機能を
担っている組織は多数存在します。このため、分かりやすく情報発信することを
心掛けています。

現在、私の主たる仕事は、東京農工大学大学院工学府産業技術専攻という専門職
大学院の教員です。TLOを含めたこれまでの経験を生かした教育・研究活動を
しています。私の研究室のホームページにも活動の詳細を掲載していますので、
ご覧いただけると嬉しいです。



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